年々、中学生の国語力が、ああ、落ちている、と思ってきた。
それと同時に、なぜか、急に国語が、わからなくなったときがあった。
自分自身が・・・。
かつては、国公立大学の模擬試験の国語の問題の採点をしていて、自分で全体像を見渡し、アナログ的に採点した後で採点基準を確認すると、まずはばっちりその採点基準に適合していたものである。
自分自身のその、冴え、みたいなものがどこかに行ってしまっていたのである。
なんでだろう・・・。
私は考えていた。
普通に授業、普通に指導、普通に解説は、十分できる。でも、あの、ピンっと来るような感じがなぜ来ないのだろうか・・・。
あるきっかけで、私は、その原因をつかむことができた。
ある高校の、トップクラスを走っている理系のUくんは、よく、個別指導で、学校の課題を持ってくる。しかも答えなし・・・。
一瞬、えっ?
次の瞬間、では答えを出してみよう!となった。
久しぶりに自分で、自由に出す答え。
採点基準がなく、私が作った答えで、彼の答え合わせをし、学校から解答・解説が配られた後で、テキストや学校から求められた答え合わせをすることになる。
最初は、大学受験とはまたちょっと異質のワークの答えを自分で全部作成することに、ちょっと戸惑いがあった。
しかも、その日の指導中に、答えをササっと作成するのである。
彼が解いている間に私が答えを作る
最初こそ、その字数制限に(国公立大学の場合、字数関係なしみたいな解答も多い。)戸惑いながら、ある意味コマ切れにされている感じのする答えを出す。
記述式の場合は、自由度を増し、ここにこう書いてあった、などと、頭の中に残ったもので大体構成し、その後、書かれていた段落などを確認するのである。
そんな指導を続けるうちに、分かってきたことがあった。
学校の教科書の解説なら、自由に解説もするが、ワークだと、正答しなければ、という縛りのために、読みが浅くなってしまうのである。自分の・・・。
そこで、記述式の問題に対しては、自由に答えを出すようにしてみた。
すると、Uくんがお手上げだった問題に対する私の答えに、Uくんが唸り出し、私の国語の力が戻ってきたような気がしたのである。
正答を意識して、答えを出すと、読みは間違いなく浅くなる。
まずは、文章の内容を理解しなければ、絶対国語の問題は解けないし、国語力は上がっていかない
。
なぜか、高校生になると、国語が得意教科になる生徒さんが多いチェリー・ブロッサム。
Nくんによると、私の話が、「国語のシャワー」らしいのだけれど・・・。
私の話が、何を言っているのかわからなくて、一生懸命理解しようと思って、思考と感性をフル回転しているうちに、生徒たちの国語力が上がっていく・・・、と表現した人もいるのだけれど・・・。それって、国語の基本じゃないの!?と言い返したが・・・。
という、国語力についてのお話。
必ずしも努力をしたからと言って伸びるわけではない国語。
読み方、解き方が間違ったら、決して解けない国語だと思う。
また、面白くなければ、何かを考えたり、感じることができなければ、それは国語ではないと思う。