6月25日(月)に、公民館で、中学生が集まって、期末考査のための国語プレテストを行いました!
残念ながら、写真を写すのを忘れてしまったので、私の作成したテストの写真にしました。臨場感をお伝えできないのが残念です。
これは、私(櫻井)の独断と偏見に満ちた、でも、ちょっと一生懸命考えてほしいなあ・・・、という想いを込めた、とんでもないテストでした。
私は、「昔取った杵柄よ!」とばかりに、かつて、高校勤務の折に、一日で三つのテストを作った経験をバネに?、果敢にも、中学生用の期末考査を作成したのでした・・・。
今回は二日で三つ?意外に本人は、「やっつけ仕事だわ!」なんて言いながら、楽しんでいました。自習に来ている高校生の先輩たちに、中二で、○○の対義語、訊いてわかると思う?などと訊いたりして、先輩たちも、嬉しそうに、○○はどうですか?○○は軽いやろ、などと、自分たちの勉強をしながら、そうして、時折私に質問しながら、結構協力してくれました。
し、し、しかし、やはり、高校のテスト中学生のテストは勝手が違い、できるだけできるだけ具体的に、平易になるように作成したにも関わらず、「難しかったー!」と叫んでいました。
作成しながら、やはり、私が国語を教えていることの中心にあるのは、文章の中に書かれていることを、心で味わい、それを一生懸命に考えることのできる感性と思考力なんだなあ、と実感しました。
○○が書かれている部分をを抜き出しなさい、などという問題に対して、一文を抜き出すのか、その部分を○○字で抜き出すのか、きちんと出題者の気持ちになって、考えていたら、誰かに、「こういうときは○○、こういう時は○○。」などと教えてもらうような必要はなくなってきます。
中学部から高校部に上がった子たちは、「櫻井先生の国語のシャワー」とよく言ってくれますが、高校に入ると、突然国語が、得意になってくる子が多いのは事実です。
それから、勉強しに来て、私がそばにいていいのかなあ・・・、と思って(さっきのテスト作成の折など)、「私、邪魔してない?自習室に行ったら?」と訊ねても、「シャワー浴びてるんで。」と勝手に学習しているようです。
今の教育が、詰め込みに偏っていないか、考えることを後回しにしていないか、なんて議論の前に、きちんと覚えなければならないことは、やはり覚えなければならないし、でも、考えることがなければ、丸暗記になったりしますし、こういう時はこうする、という矢印で表されたようなテクニックで通用するようなものであってはならないと思います。
特に国語が、何かを感じたり、何かを考えたりすることを担う大切な大切な、私たち日本人の母語であることを改めて認識し、中学生に国語を教えていきたいなあ、と思うのです。
意外に中学生の国語を教えるのは、本当に難しいのです。下手をすれば、テクニックで乗り越えることも可能だからです。でも、真の読解力は、すべての教科を伸ばす力を支えてくれます。気長く時間を掛けて、小手先だけではない力を培ってほしいと思います。
高校の国語の、特に難解な文章は、大好きですが、それこそ、言語能力が大きく伸長するはずのこの時期のお子様をお預かりすることの重要性を思い、将来に生きる国語の力を身に着けてくれるようにと願ってやみません。
それから嬉しいことがありました!
今日、現代文のテストを受けてきた高校生が、「先生が出るって言ったところ、出ましたよ!」
と言ってくれました。
点数のため、というより、そこは理解しておいてほしい、作者の意図を掘り下げてわかってほしいと思って、時間を掛けて解説したところだったのです。
そりゃあ、国語の先生の出したいところはわかるものよ!エッヘン!
と言いながら、ああ、同じ思いの先生方がいてくださる、と本当に嬉しく思ったのでした!